2017年06月06日

【わたしと卵巣がん3】抗がん剤治療再開から再手術決定まで

2016年8月29日(月)、あんなに苦しかった化学療法でしたが、この日入院して主治医に点滴のルートを取ってもらいながら
「やっとここに戻ってくることができました」
と、ホッとした思いで話したことを覚えています。

主治医は母の様子が落ち着くまで
「手術する気にならないなあ」
と言っていましたし、わたしも母がほぼ寝たきりの状態からだんだん歩けるようになり、リハビリとマッサージのおかげで、家の中ならゆっくり移動できるようになったり、車椅子でデイサービスに行けるまで回復していくのを見ていると、わたしの手術で心配をかけるのは可哀想だと思っていました。

でも、抗がん剤が効いて縮小したとはいえ、卵巣がんは確かにわたしの体の中にあるのです。

さらに数回の治療を続けていましたが、腫瘍マーカーの数値がだんだん上がってきました。

マーカーの値が24になった昨年の冬に、年明けの手術が決まりました。

主治医は、PCの中のCT画像をクルクルと回し見ながら

「これを取りに行きたいんだよなあ」

「子宮は防波堤として残しておくから」

「あとでエーッ! と言われないように先に行っておくけど、開けてみて取れないこともあるから」

「お腹の中にプツプツしたニキビみたいのが見えたらそのまま閉めちゃうから」

と言われました。

ショックでした。
でも仕方ないと思いました。

わたし「じゃあ、手術ができて無事切れるように祈るしかないってことですか」

主治医「そういうことだね」

わたし「手術当日は誰かが立ち会わないといけないんですよね。うちの親は無理だと思うんです。前回の手術のときにも先生の話聞かないでヘルパーに任せて逃げちゃったし」

主治医「意思の疎通ができない人に話しても仕方ないでしょ」

わたし「そうですよねえ…。手術の説明されてもたぶんわかんないと思います」

主治医「友達でいいよ。手術当日は誰か来てもらわないと。手術説明の日はあなた1人でいいから」

わたし「友達に連絡してみます!」
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家に帰って大阪在住の友達に電話をしました。中学1年生からの友人で、結婚してご主人の会社が大阪にあるため、関西に住むようになりました。彼女だけにはメールでわたしの病状を知らせていたので、真っ先に頭に浮かんだのです。しかし、大阪在住ということもあり、断わられても仕方ないと思っていました。また、手術が決まったことが嬉しくて、一番に報告したい人でしたし、電話で彼女の声が聞きたかったのです。

彼女に事情を話すとすぐに了解してくれました。むしろ手術の日以外にも面会に行こうかと言ってくれました。わたしは大阪から東京の病院に呼ぶだけでも大変なので、手術の日の午後だけでいいよと頼みました。

彼女との電話を切って、主治医に「手術の立会人が決まりました」と連絡しました。


がん患者になって思うことは、告知を受けて、自分自身がん患者であることを受け入れるのが大変なように、周りの人々も同じようにショックを受け、苦悩するということです。

関係が深いほど、自分の痛みを、同じように感じてくれる人がいるということです。

もしかしたら肉親とか、恋人とか、友人とか、あまり関係ないかもしれないです。表現の方法もその人によるので、既に心の余裕を失っている患者から見たら、わかりにくかったり、誤解して受け取っている場合もあると思います。

日本人の2人に1人が、がんになる時代ですが、知り合いからがん患者なのだと聞かされて平気な人などまずいません。

わたしは手術が決まるまでの1年弱の間、がんの陰に隠れていました。人との交流を避け、テレビを見ても内容が入ってこないし、Twitterも見たくない、ストレスを溜め込んで、食べ物も喉を通らず、1日1日生きてるだけで精一杯でした。

そんなつらさを唯一相談できたのが大阪の彼女だったのです。


彼女の立ち会いの元、わたしは2017年1月20日(金)に再手術しました。
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2017年06月05日

わたしが出会ったLGBT~現地調査に行く人行かない人~

今、LGBTブームなんですか?
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すみません。本当に疎くって申し訳ない感じなんですけど。そもそもBLや百合とかの創作物も見たことがなくてですね、ブームと言われてもピンとこないどころか違和感すら感じちゃいます。

でも岩波書店発行の月刊誌「世界」5月号で特集組んじゃうくらいですから、ブームなんでしょうねえ。目次はこんな感じ。
世界 2017年 05 月号 [雑誌] -
世界 2017年 05 月号 [雑誌] -

特集 2<LGBT>ブームの光と影

ダイバーシティから権利保障へートランプ以降の米国と「LGBTブーム」の日本

生きやすい空気を作るためにー<同性婚議論>のその先へ

誰にも身近な問題へー日本における性的少数者の法的トラブルの現在

教育現場と<多様な性>ー誰も置き去りにしないために

漂流するLGBT法案



それから野村萬斎さんが表紙で、今日発売のAERA(6月12日号)はLGBTが巻頭特集。

AERA (アエラ) 2017年 6/12号 [雑誌] - 楽天ブックス
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LGBTブームの嘘

【ブーム】
「私たち『夫婦(仮)』はじめました」
トランスジェンダーとゲイの異色カップル対談
能町みね子 (漫画家)× サムソン高橋 (ライター)

「『おネエ』しかいらない ―LGBTはメディアでどう扱われてきたか―」
ミッツ・マングローブ/カルーセル麻紀/KABA.ちゃん

【政治】
「ひとつではない政治意識 ―LGBTだからリベラルというわけではない―」

【調査】
「『フレンドリー』は虹の彼方に ―本誌独自調査で見えた自治体対応の実態―」

【教育】
「『いない』のではなく『見えない』だけ ―小中学校教員の半数以上がLGBTを知らない―」

【家族】
「それでも愛して育てたい ―同性カップルが我が子と育む家族―」

【老い】 
「誇りは持てた どう老いるのか ―ロールモデルなきLGBTの老後


両方ともわたしは買ってないですけど、これだけきちんと正面切って記事になるのは本当にめったにないので、ぜひ保存版にしてお買い求めいただきたいと思います。

わたしは昔、同性愛について調べたことがありまして、ショーパブや2丁目のレズビアンバーに行って何人かのLGBTの方とお会いしてお話したり、同性愛者の団体が東京都を相手に闘った裁判を傍聴したり、映画祭を見に行ったり、同性愛者の方自身が書かれた本を読み漁っていた時期がありました。

前に書いた山谷もそうなんですけれど、わたしは基本的に現地調査します。実際に会いに行ったり、その場の雰囲気を感じることで、初めて見えるようになる事実が本当に大きいからです。

今国会で問題になっている、文部科学省の前川喜平前事務次官が出会い系バーに通って、女性の貧困問題を調査していたという話がありますが、わたしは最初に聞いたときに何の違和感も持ちませんでした。

だってわたしだって、20代の頃から1人で新宿2丁目に行ったり、山谷に行ったりしてましたから、あー前川さんも現場を見に行くタイプの人なんだなという印象でした。

わたしの専門分野は江戸文学でしたから、タイムマシーンで江戸時代の日本橋に行くわけにはいきませんけれど、現場主義の調査方法は学術論文を書くときにも大変有効であったと申し添えておきたいと思います。


さて、やっと本題。

わたしは同性愛のことを調べてはいましたが、彼女や彼を理解することはできませんでした。ただLGBTに対する差別意識を目の当たりにしたので、彼女、彼らの闘いを応援することは続けていきたいと思っています。

最初にショーパブで出会ったかわいいニューハーフさんはずっと不機嫌で、お客であるわたしの方が気を使って、それでもほとんど口をきいてくれませんでした。

レズビアンバーは何度も行きましたが、レズビアンのもつ閉鎖性というか、見えないバリアに閉ざされたセンシティブな世界に入り込むことはできませんでした。

わたし自身が同性愛者ではないので、電話番号を渡されてもそれに応えることはできなかったし、そういう意識で接触しようとしてくるエイリアンを排除し、自分の身を守る術を身につけているのがレズビアンなのだと、今になると思います。

こうしてわたしの調査は失敗続きだったわけですが、一方、のめり込んで傍聴していた裁判があります。

東京都青年の家事件(とうきょうとせいねんのいえじけん)は、同性愛者の団体に対し、東京都が「青少年の健全な育成に悪い影響を与える」として宿泊施設「府中青年の家」(閉鎖)の利用を拒絶した事に対して、1991年2月に起こされ、1997年9月の二審で原告団体の全面勝訴で結審した損害賠償訴訟である。提訴の理由は「青年の家を利用した際、他団体から嫌がらせを受けた。そこで青年の家側に対応を求めたところ、青年の家所長と都職員から不誠実な対応をされ、今後の利用を拒否された」というものだった。(Wikipedia)


わたしは高裁から傍聴し、裁判のあとの報告会にも何度か参加しました。

裁判はひどいものでした。裁判長は居眠りをしている。東京都側の弁護士は威圧的でやる気のなさが充満していました。傍聴席の応援団だけが裁判の行方を真剣に見守っていました。

報告会では原告側の弁護士さんから裁判についての説明があり、相手の出方、今後の対策が述べられました。その後、裁判の当事者である同性愛者本人やその親からの体験談が続きます。

当時この裁判はマスコミにも取り上げられましたから、裁判を起こしたからには、セクシュアリティも個人情報も公開するリスクがあります。家族や友人、パートナーの支えは大きかったと思います。裁判に批判的な同性愛者の有名人もいました。でも、彼らは勝利したのです。

ゲイ・ブーム、LGBTブーム、何年かおきに来ているような気がしますが、ブームや商業主義で終わらせないで、一人ひとりが何に悩んで何と闘っているのかをまず知って欲しいと思うのです。

そういえば昨年、野党4党が提出しようとしたLGBT差別解消関連法案、あれどうなったんでしょうね。

まあ、あまり頭でっかちにならないで、身近な人が相談してくれたときに、真剣に話を聞いて、その人の味方になれるだけの知識を持って、差別意識を捨てることではないでしょうか。

差別も偏見も無知から生じるのです。
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2017年06月01日

【映画】ヤクザと憲法【後編 】 元山口組顧問弁護士・山之内幸夫を社会的に抹殺した正義とは

映画「ヤクザと憲法」にはもう一人の主人公として山之内幸夫氏が登場します。

山之内幸夫氏は弁護士として数々の刑事弁護を担当する中に、暴力団関係者の弁護が含まれていました。そして五代目山口組若頭宅見勝との出会いにより、正式に山口組の顧問弁護士に就任しました。「暴力団の顧問は弁護士の品位を害する」と、大阪弁護士会から懲戒処分を受けます。1991年には、恐喝罪で逮捕され、1997年大阪高等裁判所で無罪が確定。2013年には建造物損壊教唆罪で2014年4月に在宅起訴。2015年に最高裁で執行猶予つきの有罪判決が確定し、この判決により弁護士資格を失いました。 映画「ヤクザと憲法」の中では、判決の当日に裁判所へ向う山之内さんをカメラが追います。

わたしは山口組の弁護士と聞いて、遠藤誠弁護士を思い出していました。あの帝銀事件の平沢貞通の弁護人として知られ、永山則夫の国選弁護人でもあった、伝説の弁護士です。

遠藤誠弁護士は、暴力団対策法は違憲であるとする行政訴訟において山口組の代理人を務めました。山口組は主任弁護費用として12億円の支払いを申し出ますが、これを断って無償で弁護したというのは有名です。このときには遠藤誠弁護士の左右弁別せざる人脈からか、野村秋介氏らと一水会から「統一戦線義勇軍」、暴力団関係者による「任侠市民連合」、新左翼・日本共産党が合同で抗議のデモ行進や座り込みなど激しい反対運動をしたようです。

日本国憲法第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


遠藤誠弁護士は、暴力団対策法はこの第21条1項の結社の自由を不当に制限し違憲であると主張しました。

各地で違憲訴訟が起こされましたが、福岡地裁で合憲判決が下りました。
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清勇会の川口和秀会長が言うとおり、暴力団排除条例は憲法第14条に違反していると訴訟を起こしたらどうなるのでしょう。

残念ながら今のヤクザには裁判費用が大きな負担になることは間違いないでしょうし、山之内氏が弁護士資格を失った今、暴力団の弁護を引き受ける弁護士もいないでしょう。

山之内氏が恐喝罪で逮捕されたときには、150人もの弁護団がつき、無罪を勝ち取ったものの、弁護士としての依頼は激減し、事務所も縮小せざるを得なくなります。それでも暴力団員の弁護を続ける山之内氏から、弁護士資格を剥奪するまで権力を行使し続けた司法の正義とは、一体誰のためにあるのかと思うのです。

暴力団員と関わる人間は人権を侵害され、みせしめのように社会から抹殺される。

じゃあ、暴力団なんかと関わらなければいいじゃないか。

暴力団は悪。警察は善。
法律は正義。

しかし、刑法の斜め上を行く「テロ等準備罪」によって、ある日突然あなたの身近な人が「組織的犯罪集団」に入れられてしまうかもしれません。そもそも「組織的犯罪集団」とはどういう定義がされるのか、法務大臣だってまともに答えられないブラックボックスのような法律が成立しようとしています。


さて、現在の山之内幸夫氏ですが、家族と離れて団地でひとり暮らしをしながら、作家活動に専念されているようです。映画化された『悲しきヒットマン』を始めとして多数の著作があります。新刊は『山口組 顧問弁護士』(2016、角川新書)。
山口組 顧問弁護士 (角川新書) -
山口組 顧問弁護士 (角川新書) -
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2017年05月29日

【映画】ヤクザと憲法【前編】­ 清勇会会長川口和秀にしてやられた東海テレビ

暴力団について詳しいわけではないのですけれど、ある種のシンパシーを抱いておりまして、それは、はぐれ者が貧困の中で、理不尽な差別や権力と闘うには、暴力も辞さないというかですね、最後はいつでもケツまくってやるぜ、みたいな血の気の多い性格がわたしの中にあるんですね。

ヤクザや任侠道に興味がある方って、多かれ少なかれアウトロー的な埋もれ火を持っていて、それを小さく燻らせて満足できるか、大きく燃やさないと気が済まなくなる別の要因があるのじゃないかと思ったりします。

東海テレビ制作のドキュメンタリー映画「ヤクザと憲法」は、大阪市西成にある指定暴力団・二代目東組の二次団体である二代目清勇会に密着取材し、川口和秀会長を始めとして登場するヤクザはモザイク無し、実名で、清勇会組事務所の日常が描かれていきます。

組事務所には大きな本棚が置かれており、服役中に差し入れられた本がずらっと並んでいます。ヤクザだからといってヤクザの本ばかり置いてる訳じゃなくて『犬と私の10の約束』や『世界の猫100選』などを手に「刑務所の中ではこういうかわいらしい写真とかね。いいじゃないですか。癒しになりますね」と組員は語ります。

映画の中には組の主な資金源である、覚醒剤の密売シーンや、東組の創立者で総長の東清の葬儀、清勇会部屋住みの若い組員を若頭がボコるなど、ヤクザ社会ならではの映像も流れます。

ただ、とにかく二代目清勇会会長にして、東組副組長の川口和秀氏が只者ではありませんでした。映画の中では新世界の定食屋にふらりと訪れ、店主の女性から警察より厚い信頼を寄せられています。

「(暴力団であることは)知ってるよ。いつも気にかけてくれはんねん。警察なんかなにしてくれるの? なんにもせえへん」

と、店の女将は言います。

川口会長は一見するとIT企業の社長のようです。60歳を越えて若々しく、オーラはすごいですがヤクザには見えません。しかし、壮絶な人生を歩んできた凄みは消せません。

1985年、兵庫県尼崎市のスナック「ラウンジ・キャッツアイ」で、抗争中であった山口組系倉本組組員に対し、清勇会の組員が発砲する事件が起こります。このとき相手の組員は重傷を負い、流れ弾で19歳のホステスが死亡しました。川口和秀会長は、この事件で未決拘留も含め22年もの服役を強いられるのですが、実は犯行に及んだのは絶縁した元組員であり、事件の一切に川口会長は関与していませんでした。元組員の偽証による冤罪だったのです。

この事件が「暴力団対策法」制定のきっかけになったとされ、服役生活が川口会長のその後の人生に大きな影響を与えたのでしょう。

川口会長は苦しんでいる関東と関西のヤクザの現状を集め、彼らの切実な訴えを静かに語り始めます。

・暴力団排除条例から我々は銀行口座すら作れなくなり、既存の口座も解約されている。

・そのため暴力団員の子どもは給食費の銀行引き落としができないので、現金を毎月持って行かなくてはならず、いじめられ、差別されている。

・保育園通園を親が暴力団員という理由で断られた。

・宅急便がヤクザの組事務所には配達してくれない。

・家族が保険に入れない。暴力団員とわかると解約される。(実際に映画のラストで、清勇会直参の河野裕之が車の自損事故を起こし、保険会社の保険金支払い拒否というトラブルに巻き込まれ、あげくに詐欺未遂で逮捕されてしまう)

ヤクザとその家族には人権がないのか。

憲法で定めるところの基本的人権が侵害されている。

ディレクター「ヤクザと人権ってちょっと合わない感じがするんですけど…」

川口和秀会長「しかし実際こうして被害受けとるわけやからね」

日本国憲法第十四条
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。


川口会長の問いかけは明確です。


六代目山口組の上納金問題から、神戸山口組が分裂し、さらに任侠団体 山口組が生まれたのを見ても、暴力団排除条例が暴力団の弱体化に効を奏したと言えるのかもしれません。

それにしても川口会長のかっこ良さ。

任侠好きならずとも、この映画を見たら川口会長のファンが増えると思います。物静かで気さくなインテリどころか、武闘派東組の副組長で清勇会会長です。ハマると危険です。

東海テレビは川口会長にまんまとハマってしまったようです。「ヤクザと憲法」の法律監修をされた安田好弘弁護士を取材した映画「死刑弁護人」で見られた、被写体が持つ矛盾と齟齬まで描ききれていないのです。

ヤクザが本来抱えている問題はもっと奥深く見えないところにあるはずです。それを川口会長はヤクザと人権の問題に焦点を定めた。そして取材陣を自らの手の内に引き込んだ。

つまり、この映画はヤクザに寄りすぎるのです。

数々の傑作ドキュメンタリーを生み出した東海テレビスタッフより、川口会長のほうが役者が何枚も上でした。そういう意味ではヤクザファンにはたまらない映画ですし、歴史に残る快作だと言えます。

川口会長が問いかけた命題は、意外な形でわたしたちに帰ってくることになりました。

その前に映画「ヤクザと憲法」もう1人の主人公である、山之内幸夫元弁護士について書いておきたいと思います。


【映画】ヤクザと憲法【後編】に続きます。

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posted by 部長 at 11:48| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月09日

【本棚】神林広恵+高橋ユキ『木嶋佳苗ㅤ­法廷証言』札束は男を惑わす愛の香り


こんなでたらめな裁判で木嶋佳苗を死刑にするのか? これが『木嶋佳苗­ㅤ­法廷証言』を読んだ最初の感想でした。
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2017年4月14日、木嶋佳苗に対し、最高裁判所はさいたま地裁の判決を支持し、上告を棄却、死刑判決が確定しました。木嶋は史上初の第一審・裁判員裁判による女性死刑囚となりました。

東京、千葉、埼玉で、交際していた男性3人を練炭自殺と見せかけて殺害した罪、7人の男性に対する詐欺・詐欺未遂・窃盗の罪に問われた裁判で一貫して無罪を主張していました。

『木嶋佳苗ㅤ­法廷証言』(宝島SUGOI文庫、2013)は、2人の女性ライターの傍聴記録の体裁を取っていますが、目次からちょっとヒドイよ。


第一部ㅤ­首都圏連続不審死事件
ㅤ­木嶋佳苗の「実像」を追って
第二部ㅤ­100日裁判証言録
木嶋佳苗被告・法廷証言録1
ㅤ­”名器自慢”も飛び出した前代未聞のSEX法廷
婚活詐欺の被害者5人の法廷証言
ㅤ­毒婦の毒牙にかかりながら生還した男性たち
木嶋佳苗被告・法廷証言録2
ㅤ­ドS検事の追求で次々と暴かれたLLサイズの嘘
木嶋佳苗被告・法廷証言録3
ㅤ­性の奥義を極めたかった…...
ㅤ­傍聴席がのけぞった仰天発言
さいたま地裁一審判決の要旨
ㅤ­「主文、被告人を死刑に処する」
木嶋佳苗 法廷証言 (宝島SUGOI文庫) -
木嶋佳苗 法廷証言 (宝島SUGOI文庫) -

普通に一般社会に生きてる女の人だって、同じ同性から見て、この人怖い、考え方についていけない、できれば関わりあいになりたくない、理解できない、そんな女性は掃いて捨てるほどいます。しかし、彼女達はそれぞれが自己完結できていて、自分はあくまで罪業や悪徳からは遠い存在だと思っているし、実際に犯罪に手を染めてしまうのは、ごく少数のはずです。

その一般女性が木嶋佳苗に対して抱くイメージは、わたしよりブスなのに、デブなのに、婚活サイトや出会い系で男を取っかえひっかえ、あげくに1億円以上も貢がせて、セレブ生活だなんて、何故なの!?

かもしれません。木嶋佳苗は言います。

「本当のわたしを誰もわかるはずがない」

確かにそうでしょう。
でも感情的なパフォーマンスで終わった司法の判断で、ひとりの人間を死刑にしてはいけないのです。最高裁判所の上告棄却により、真実は闇に葬られることになりました。

わたしは、仮に木嶋佳苗が殺人を犯していたとして、その理由がわかる気がします。木嶋佳苗には本命のSさんという男性がいました。彼と会うときはお金はいつも折半で、お互いのことをセフレと称していました。

殺された男性たちは、それぞれ木嶋の地雷を踏んだのでしょうが、木嶋にとって結婚の意思は本心だったと思います。ただ、共通しているのは、女に現金を貢げば、その女は自分から離れていかないだろう、札束を積んだだけの愛情を女が自分に与えるのは当然だ、という男の論理です。

これとぴったり対応するのが、性を金銭に変えることに全く抵抗を感じない木嶋のセクシャリティです。木嶋にしてみれば、間に「結婚」の文字さえあれば、1億円騙し取ろうが、気持ちは二の次、体は三の次で、罪悪感などないのです。では、なぜ殺してしまったのか。6ヶ月の間に3人の殺人を犯さなければならないほど、木嶋を追い詰めていたものは何なのか。裁判ではそこを明らかにしなければならないはずでした。


女なんて怖いものです。

奇しくも和歌山毒物入りカレー事件で、死刑が確定した林真須美は4月1日付で大阪高等裁判所に即時抗告しました

法務大臣に早期執行の請願をして死刑を受け入れる木嶋佳苗と、高等裁判所に即時抗告して闘い続ける林真須美。いずれにしても、真実を知りうるのは彼女たちだけなのです。
posted by 部長 at 00:42| Comment(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

【親の介護2】圧迫骨折からの在宅リハビリを用意する【寝たきりにさせない】

リオオリンピックのメダルラッシュで日本中が歓喜の渦に包まれる中、わたしひとりが暗黒世界に取り残されたような、恐怖と孤独の4週間を過ごしていました。

朝、目が覚めると、また地獄の1日が始まる。絶望的な気持ちになり、重たい心と体を持ち上げて犬にご飯を食べさせる。お昼まで寝るか家事を済ませ、犬のトイレを片付ける。犬がわたしに元気をくれる。2時の面会時間までに起きて、母の着替えを持って病院に行く。ベッドに寝たきりで動けない母を見て、不安発作を起こしながら家路につく。夕方まで倒れて動けない。夜、犬にご飯を食べさせる。わたし、睡眠薬で無理やり寝る。

食物は食べられません。1日にカロリーメイトの缶を1本飲むのがやっとでした。カップヌードルが1個食べられたら御の字です。落ち着いたはずの吐き気と不安発作に毎日襲われ、連日の熱帯夜と疲労で眠れず、睡眠薬を4種類カクテルで飲んで無理やり寝逃げするしかありませんでした。

母は少しずつ回復していきました。圧迫骨折の治療はとにかく安静です。横になったまま小さなおにぎりを食べていたときは、誤嚥性肺炎にならないかと不安でした。尿の管が抜けたときの喜び、コルセットが出来た、血栓予防の加圧ソックスが脱げた、看護師さんに付き添われトイレまで歩行器で行けた。目に見える回復は、わたしのメンタルの支えでした。しかし戦っているのは圧迫骨折だけではありません。入院が長くなるほど、認知症の症状も日によってわかるようになりました。

母の主治医は4週間からリハビリを含めて6週間の入院が必要と言われました。正直わたしは2週間で精神的に限界でした。3週間目は食べていないのでフラフラです。4週間目は体の痛みとがんの再発に怯えるようになりました。

わたしは4週間で母を退院させることにしました。主治医の退院条件は、週2回のリハビリに外来で通院することと、室内は車椅子で移動することでした。すぐにケアマネージャーに連絡しました。しかしケアマネージャーの答えは、週2回車椅子でリハビリに通うというのは現実的ではないというものでした。

それでも、とにかく母を家に帰らせたい。在宅でできることは全部してやりたい。その一心でした。

ケアマネージャーに相談して、ベッド脇にポータブルトイレを置き、ベッドには手すりをつけ、宅配のお弁当を頼み、社会福祉協議会から車椅子を借り、介護ヘルパーも毎日来てもらえるように3社から頼みました。

往診の整形外科の先生と相談して、在宅リハビリの理学療法士とマッサージ師を紹介していただき、それぞれ週に1回来ていただくことにしました。これで週2回の外来リハビリには行かなくていいんじゃないですか、という担保をつけるためです。

2016年8月15日(月)、母の退院のため、ヘルパーさんと病院に行きました。母の主治医は条件とした外来リハビリの予定を入れていないばかりか、次回までの薬すら用意していませんでした。あげくに医師本人は外来の手伝い中と言われ全くつかまりません。やはりこのスパゲティ野郎に6週間も任せなくて良かった。一刻も早く退院させないとわたしのほうが倒れそうでした。

母が退院して家に戻ってから、しばらくは認知症との戦いでした。

しかし、4回の圧迫骨折の4週間の入院で、結局無理やり退院させたようになってしまいましたが、寝たきりになるのは回避できました。

今も家の中ならスイスイ歩けるようになりましたし、在宅リハビリを続け、天気の良い日には理学療法士の先生と歩行器で外に出て、歩く訓練をしています。ポータブルトイレも夜間だけ使うようにして、普段はトイレまで普通に歩いて行きます。

母と犬と静かに暮らせればそれだけでいい。

そんなささやかな願いにも老いは容赦なく牙を向きます。

今年の4月17日(月)、母を脳梗塞が襲いました。

発見が早かったので、数日の入院で自宅に帰ってきましたし、自力で部屋の中を歩いています。このときの話はまたいずれ書くことにしましょう。

ともあれ、2016年8月29日(月)わたしは抗がん剤治療を再開するため8週間ぶりに入院しました。

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posted by 部長 at 09:20| Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月06日

【親の介護1】85歳の母が腰椎圧迫骨折で入院するまで【寝たきりにしない】

2016年7月16日(土)、その日はうちの犬の腎臓病療法食の缶詰が宅配便で届く予定でした。

うちの母は私が知る限り3回圧迫骨折をしていて、骨粗鬆症の薬も飲んでいますし、整形外科の医師の往診も受け、2週間に1度痛み止めのブロック注射をしていただいていました。ですから本人も決して重たいものは持ちませんでしたし、十分気をつけて生活していたはずなのです。

いつもは届いた荷物は玄関に置いておき、後でわたしが開封していたのを、その日に限って母はわたしの部屋まで缶詰を運ぼうとして、圧迫骨折を起こしてしまいました。

ドスッという音とともに台所にしゃがみ込み苦痛に顔を歪める母を、布団から飛び起きて支え起こしたとき、わたしも母も、最悪の事態が起きているとは思いたくありませんでした。

とりあえずベッドまで運んで寝かせ、救急車を呼びました。病院へ行き、レントゲンを撮ると、何度も圧迫骨折を繰り返しているので、今度の患部がどれなのかわからない。少なくとも2週間の入院が必要。しかし高齢なので入院中に認知症を発症することがあると言われました。

わたしはもう泣くことしかできませんでした。完全に思考停止です。

いい歳した娘が目の前で声を上げてワンワン泣いているので、母は家に帰ると言いました。

わたしは母が一番最初に圧迫骨折をしたときに、3ヶ月以上自宅で介護した経験がありました。また自宅で母を介護すればいい。一瞬そんな考えが頭を占めました。そこでひとまず介護タクシーを呼んでもらい、身動きとれない母を自宅のベッドまで連れ帰ったのです。

帰宅してすぐにケアマネージャーに電話をしました。しかし、圧迫骨折は入院すべきだ。何とかもう一度病院へ戻れないかと言われ、相手にしてもらえませんでした。幸い、ヘルパーの方が自宅に駆けつけて、紙オムツ、パッド、手袋、おしりふきなどを買ってきてくれて、使い方まで教えていただきました。

しかし、翌日になって骨折の痛みが増し、母は自分から入院すると言いました。仕方がないので再び救急車で昨日の病院へ行き、今度は入院希望であることを医師に告げました。するとその若い救急医から信じられないことを告げられたのです。

「自分が担当する患者さんのご家族にはいつも確認しているが、高齢で既往症が多いと、入院中に様々な合併症を起こす確率が高くなる。そういう場合にどこまで延命処置を行うか、親戚と相談して欲しい」

「スパゲティ状態、つまり点滴や管で繋がれた状態で生かすのかってことだ」

「入院期間は4週間」

「(わたしが抗がん剤治療中ってことは)[昨日カルテに書いてあるから] 知ってる」

このときの医師の言葉がわたしを必要以上に苦しめたことは間違いないです。うちの母には心臓の持病があります。この医師の言いたいことは痛いほどわかります。

自宅で介護しようとしたけど頑張れなかった自分を責め、合併症を起こしたらもう生きて帰れないかもしれないと言われた母をひとり病院に残して、自分だけ抗がん剤治療なんかできるわけない。仮に化学療法を受けて副作用がひどくて動けなくなったら、母の面会に行けない。その間に認知症を発症したら、わたしのことを忘れてしまうのだろうか。しかし化学療法をやらなければがんが全身に転移してしまうかもしれない。だってわたしは卵巣がんをまだ切っていないのだもの。わたしも母もどうしたらいいのだろう。どうしようもない。どうにもならない。

7月17日(日)、わたしは母を入院させ、帰宅しました。

一晩中泣きました。

月曜日の朝になりました。

本来なら翌日の火曜日から2泊3日で化学療法のため入院するはずの病院へ、母の入院準備のため、ヘルパーに買ってきてもらった紙オムツや下着、身の回りの品を持って行きました。

わたしは母が無事退院するまで自分の抗がん剤治療を中止し、毎日面会に行き、看病に専念する決意をしました。寝たきりになんかしない。必ず歩けるようにする。スパゲティ状態になんか絶対させない。

水曜日に婦人科の主治医に会って、こういう理由だから少なくとも4週間は治療を休ませて欲しいと伝えました。先生はよけいなことは何も言わずにわたしの決心を受け入れてくれました。

長い夏が始まりました。
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2017年05月05日

【わたしと卵巣がん2】TC療法(パクリタキセル+カルボプラチン)と副作用

初めての抗がん剤は、手術から1週間後の2016年3月23日(水)でした。

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(イラスト:Vector Graphics )

普通、開腹手術をした場合、1週間後に抜鉤と言って傷口を止めたホッチキスの針みたいなものを外しますが、そのときに主治医と
「抗がん剤って何回くらいやるんですか?」
「ん~、少なくとも1年」
「何回?」
「18~24回かなあ」
という会話をしたのを覚えています。

事前に薬剤師の先生からお薬と副作用の説明があって
「これからは2週間毎に入院して化学療法の生活になっちゃいますね」
「20回以上やってる人もいますよ」
「日本人のほとんどの人がこの抗がん剤から始めますからね」
と言われていたので、主治医の言葉はそれほどショックではありませんでした。


わたしが受けている化学療法は、TC療法と言って、パクリタキセル+カルボプラチンの2剤の抗がん剤を1日で投与します。スケジュールは次の通りです。

【1日目】
午後:吐き気止めの点滴3時間

【2日目】
朝:朝食後にレスタミンコーワを5錠飲む
午前:アレルギー予防・吐き気止め点滴(1)30分
アレルギー予防・吐き気止め点滴(2)30分
昼:パクリタキセル3時間
午後:カルボプラチン3時間
夕方:生理食塩水15分

病院や主治医によってスケジュールは変わってくると思います。

卵巣がんのTC療法を知りたいと言う方は、沢井製薬のリーフレットがわかりやすいので、ご覧いただけたらと思います。

※カルボプラチンとパクリタキセルの併用療法を受ける患者さんへ
(沢井製薬 PDFファイル)
http://med.sawai.co.jp/oncology/files/TC-Therapy.pdf

1日目の吐き気止めに、ステロイド剤のデカドロンを使っているので、2日目にはデカドロンの覚醒作用から、比較的元気なことが多いです。


副作用なのですが、わたしの場合とにかく吐き気です。

前回も書きましたが、わたしの主治医は抗がん剤を基準の3分の1量に抑えて投与します。ですから期間も3倍かかります。その代わりに副作用も抑えられ、抗がん剤治療の精神的・肉体的負担を軽くしています。

それでも、わたしには耐え難いほどの吐き気に襲われました。24時間吐き気が続くので、寝られない、食べられない、何も考えられない、ほぼ寝たきりで3ヶ月間過ごしました。その間も抗がん剤治療は続きます。吐き気はどんどん強くなります。吐き気止めで処方されたドンペリドン(ナウゼリン)なんかラムネです。とくに朝はのたうち回るほどの吐き気で苦しみ、婦人科の待合室で、隣に座った女性のボディソープの香りで吐き気が倍増します。診察室で「吐き気が強くて治療を続ける自信ないです!」と主治医に叫んだことがあります。

7月になって、化学療法を受けた2日後のある晩、とうとう動けなくなって、夜間救急に飛び込みました。デカドロンの錠剤を飲み、プリンペランを点滴して帰りましたが、翌日になっても良くなる気配はありません。しかし、救急対応してくださった医師が、主治医に伝言を書いてくれていました。それはイメンドカプセルの投与でした。

イメンドカプセルは小野薬品から出ている、化学療法後の吐き気を抑えるのに特化した吐き気止めの薬でした。化学療法当日に125mg、翌日から80mgを1日1回服用し、5日間まで使用可能というものです。

わたしは抗がん剤投与中は割と元気なので、主治医はイメンドカプセル80mgを頓服として飲むよう、3日分処方してくださいました。これが劇的に効きました。診察のときに吐き気以外の会話ができる!

イメンドカプセルのおかげで苦しい吐き気から開放された。これでまた治療が続けられる。頑張ろう。そんなふうに思った矢先でした。

娘のがん宣告、化学療法のために入退院を繰り返し、帰宅しても抗がん剤による副作用でものも食べられずにのたうち回って苦しむ。その間、うちの母なりにわたしを必死で支えてくれていました。でも、母はこのとき85歳です。心が折れないほうが不思議です。


2016年7月17日(日)
母が圧迫骨折で入院しました。
わたしは治療を中止し母の看病に専念しました。
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2017年05月04日

【わたしと卵巣がん1】がん告知と初めての抗がん剤

わたしは桜の花が嫌いです。
桜の季節にはなぜか悲しいことが起こるからです。
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わたしが卵巣がんと診断されたのは、2016年3月15日(火)でした。

この日は、重い子宮内膜症と子宮筋腫、右卵巣の腫瘍で、子宮と卵巣の全摘手術を受ける予定になっていました。左の卵巣は卵巣嚢腫で既に摘出していました。

主治医とは、左卵巣を摘出した数年前からお世話になっています。正直に言うと、手術前から、医師もわたしもなんとなく、これはがんかもしれないという予感はあったと思います。

実際手術をしてみたら、大網にがんができていて、腹膜播種を起こしていたので患部を出来るだけ切除してお腹を閉じました。

手術直後のオペ室で手術助手の医師の声で「卵巣がん、腹膜播種」と聞いたときには全身麻酔もあってすぐに気を失いました。病室で主治医に「卵巣がんなの? 治るの?」と聞いたときには(やっぱりか...)という思いでした。主治医は「お母さんとわんこのために治すの」と仰いました。

わたしのがんは漿液性腺癌、ステージⅢcでした。お腹の中いっぱいにがんが広がっているので、大きな手術はできませんでした。1年くらい抗がん剤を使って、手術ができるようだったら再手術するけれど、おそらく永久的人工肛門になるだろうという診断でした。

結果的に画像診断の子宮内膜症は間違っていたことになりますが、わたしも主治医も口に出さないだけで、こうなる予感はあったと思いますし、何よりもがんの進行がものすごく早く、体の中で起こっていることを受け入れることすらできませんでした。

このときの入院は本当に大変でした。10日間の入院期間中に開腹手術、お腹に溜まった腹水を機械で抜き、悪い成分を除いて栄養だけを凝縮した点滴液に作り替えて体に戻し、抗がん剤治療も始まりました。

初めての抗がん剤治療は、とにかく吐きました。後でわかったことですが、わたしの主治医は一般的な抗がん剤の3分の1量を使います。ですから副作用をほとんど感じない方もいらっしゃるほどです。わたしが抗がん剤で何度も嘔吐を繰り返したのは、がん告知のショックが大きかったのだと思います。しかし、この後数ヶ月は吐き気との戦いが続きました。わたしは副作用が強く出るタイプのようです。

2016年3月26日(土)。桜の開花を待ちわびる人々の中に、吐き気と絶望的な気持ちを抱えて退院しました。

わたしが一番大切にしていた「自由」を失った日でした。

posted by 部長 at 09:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月03日

【すばらしい】MNP乗り換えでY!mobileにして良かったこと【ワイモバイル】

3月頃さんざん迷っていた、スマホ問題ですが、結局3月31日にMNPでY!mobileに乗り換えました。いやー、変えて良かった! 今回は1ヶ月使ってみた感想をまとめておきたいと思います。

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Y!mobileにしてここが良かった10!


1.通信費が爆安!

わたしはこれまでauに月14,000円位スマホ代を払っていました。もう、大変な負担でした。どう節約しても月8,000円代。何でスマホにこんなにお金がかかるのかわかりません。それが、Y!mobileのワンキュッパ割なら、MNP・新規で1年間基本使用料が1,000円引き、プランM(タイプ1)なら月額2,980円になりました。諭吉1人分節約できたのです!


2.データ通信がキャリア並に速い

病院で映画やドラマ、AbemaTV、YouTubeを見たり、音楽のストリーミング放送を聴くのが主なスマホの使い道ですので、データ通信の速度が一番悩みどころでした。MVNOなら速さは妥協せざるを得ないところですが、Y!mobileはMNOであり、キャリア同様独自回線を持っていることから、速度はキャリア品質と言って良いでしょう。狭い病室でAmazonビデオの映画を見ても全くストレスはありませんでした。


3.10分以内の通話なら無制限で無料

これ、auより良かった点かもしれません。かけ放題プランに加入していなかったので通話料がヤバいことになってました。MVNOも5分かけ放題無料というところが多いと思いますが、10分あればちょっとした用件は済みます。


4.店舗があるのでなにかと安心

家電量販店店頭やオンラインショップで契約して運が良ければキャッシュバックキャンペーンつき。MVNOの多くがそのような集客という印象です。しかし契約後の端末の初期不良や故障時など、予期しないアクシデントの対応はどうしても遅れてしまいます。幸いY!mobileの店舗が近くにありましたので、契約のときから色々教えてもらうことができました。お店の方と仲良くなっておくと心強いですよ。


5.いつのまにかYahoo !プレミアム会員

Y!mobile契約してから気づいたんですが、わたしはこれでヤフオク出品デビューしました。キャンペーン中で、落札されなくても1000ポイントくれるそうです。ちょっと世の中が広くなった気がします(気のせい?)。


6.Yahoo !ショッピングでポイント倍増

これもYahoo !プレミアム会員だからなのですが、Yahoo !ショッピングでYahoo !ポイントとTポイントが5倍になります。


7.パケットマイレージで毎日マイルをためるとデータ容量が追加できる

Y!mobile専用アプリで毎日スタンプを貯めてクジを引いたり、Yahoo !アプリを見て毎日3マイルと、ゲーム感覚でこつこつ貯めていたら、1ヶ月で1GB貯まりました。


8.Y!mobileのキャリアメールが使える

Y!mobileでは、○○○○○@yahoo.ne.jpと、MMSの○○○○○@ymobile.ne.jpのキャリアメールが使えるようになります。


9.SoftBankのWi-Fiスポットが使える

Y!mobileはSoftBank系の会社ですので、これはかなり嬉しいサービスです。ぜひSoftBank Wi-Fi スポットアプリをダウンロードしておきましょう。


10.家族割がある

スマホなら基本使用料から500円引、ガラケーだと基本使用料全額無料です。母のauガラケーをY!mobileに乗り換えたくなりました。


最初はとにかくスマホ代を安くしたい、出来ればiPhoneデビューしようかな、などと考えていたわたしですが、MNPで乗り換えてみると、サービス、端末、速度、アプリと、色々新たな発見がありました。

Y!mobileオンラインショップはこちら!

posted by 部長 at 18:01| Comment(0) | スマホ・モバイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする