2017年10月04日

築地場内の墨田書房で『築地魚河岸ブルース』の沼田学氏に会う

9月9日の築地散歩最終回です。

この日は朝10時から築地でサイン会がありました。わたしはTwitterで知って、ぜひ行きたいと前日から予定を立てていたのですが、土曜日は母が9時にデイサービスに行く日でもあり、母を送り出してから出かけると、どうしても10時のサイン会には間に合わなかったのです。

病身のわたしにとって築地散歩は勇気のいる冒険でした。でもそんな不安を吹き飛ばすように、築地市場のみなさんはわたしにパワーを与えてくれました。

喜多品のいちご大福と黒猫くーちゃん、波除神社で重陽の節句を祝い、築地どんぶり市場でマグロのほほ肉ステーキ丼をかっ込み、魚河岸水神社へお参りし、それでも心残りだったのが場内市場の墨田書房で開かれていた『築地魚河岸ブルース』の写真家・沼田学氏のサイン会でした。

『築地魚河岸ブルース』は築地市場で働く男たちの写真集です。Amazonでも売り切れで、入荷未定。Twitterで拡散され「カッコいい!」「オヤジ萌え!」「渋い!」「築地の岩城滉一だ」と、話題になっています。たとえばこのツイート



いろいろ遊びまわった後だったので、時間は12時を過ぎていました。でも魚河岸水神社から墨田書房は目と鼻の先です。せめて本だけでも手に取って見たい。そんな思いで墨田書房さんへ行きました。

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築地場内の墨田書房
(墨田書房は撮影禁止、携帯・スマホ使用禁止です。この写真はブログ用として撮影・掲載許可をいただいています)
築地場内の書店だけあって、調理、食材、飲食店向けの専門書や雑誌が揃っています。一般の方向けのレシピ本や外国人観光客も楽しめる美味しそうな写真を使ったビジュアル本などもあり、プロの料理人にも、家庭の食を担うお母さん、お父さんにも有難い本が揃っています。

さて、サイン会で売り切れだったらどうしよう。おおお、良かった。本あった。店頭に平積みにされている『築地魚河岸ブルース』を手にとりました(いいなあ、やっぱりおじさんたちかっこいいなあ)。すると書店の奥から小柄な女性と、市場には不似合いな黒スーツの男性が出てきました。なんとなくカンで(あ、業界人だ。取材かな? おじゃまなら帰ろう)と思っていました。すると墨田書房の若旦那からわたしに話しかけてくれました

「この本撮った人中にいるよ」

「えっ! 沼田さん?」

「そう」

「10時からサイン会だったのは知ってたんですけど」

「今出ていった女の人、Twitterで拡散してくれた漫画家さん」

「えっ!」

わたし、漫画家のおざわゆきさんが沼田さんに会いにいらしたところにちょうど遭遇していたんです。おたおたしていると、墨田書房の若旦那がわたしを書店の奥に招いて、沼田さんに会わせてくれました。沼田さんにサインを書いていただきながら

わたし「もういらっしゃらないと思ったんですけど、本だけは見たくって」

沼田氏「サイン会、何で知ったんですか?」

わたし「Twitterです!」

沼田氏「Twitterってすごいんだなあ」

若旦那「もしかして電話くれた人?」

わたし「電話はしてません」

若旦那「さっき電話くれた人がいてね。(沼田さんは)その人のことを待ってたんだよ」

なんというタイミングの良さ!

沼田さんに、ブログに載せたいので写真を撮っていいですかとお聞きしてみました。

沼田氏「悪いことを書かなければいいですよ」

わたし「悪いことなんか絶対に書きません!」

若旦那「写真撮るなら明るいところのほうがいいんじゃない?」

そうこうしていたら店の外で墨田書房のご主人に外国人観光客が何かを聞いたようで、ご主人が「ノー、イングリッシュ」と何度か仰っています。そこへ沼田さんが写真撮影のため店の奥からでていらっしゃって、外国人の方に

沼田氏「イングリッシュ? ア・リトル」

と言いながら、めっちゃ流暢な英語で築地場内の道案内をしていました。あら、かっこいい!

そのあと撮らせていただいた写真です。
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緊張して手が震えまして写真家の先生に誠に申し訳ない感じの写真になってしまいました。ごめんなさい。こころよく撮影させてくださいましてありがとうございました。

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いただいたサイン。名前のところをモザイクで消すとアヤシイ人だと思われそうですね。でもね一応ね。
沼田先生、本当にありがとうございました。

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写真集『築地魚河岸ブルース』は、安田顕さん主演で映画化された『俳優・亀岡拓次』の著者・戌井昭人氏のSF小説のような巻頭文から始まります。何度も芥川賞候補になっている戌井氏独特の不思議な雰囲気の文章を読んでいると、そのままリアルな築地市場の世界へと誘ってくれる仕掛けです。

沼田学氏は「定点観測」という手法で、築地市場で働くオヤジたちを真正面から撮り続けます。長靴をはき、ターレを乗り回し、雨の日も、夏の日差しの中も、顔の皺一つ一つに深く人生が刻まれた個性的な男たち。いえ、市場で働いているのは男ばかりではありません、ターレに乗ってVサインを高く掲げるポニーテールにTシャツ姿の若い女性、美しい白髪をなびかせながら赤い口紅に紫の長靴で自転車に乗る女将さん、果ては世界中から築地にやってきた異国の観光客に至るまで、市場を通るあらゆる人々が沼田氏の被写体になっています。

たぶん、彼らに共通しているのは築地にいる間は市場人であるということ。

わたしはね、この写真集を見ていると力をもらえるんです。何度見ても飽きないです。一人ひとりみなさん本当に魅力的です。かっこいいしね。人間が生きて、生活して、働いている姿は美しいです。『築地魚河岸ブルース』で沼田学氏が切り取った築地市場の人々はわたしの憧れの世界なんです。

同書には、英語と日本語のあとがきがあります。外国の方にもぜひおすすめしたい本です!

著作権の関係で本の中の写真は紹介できないので、YouTubeでごらんください。


『築地魚河岸ブルース』は、クラウドファンディングで予定を超える153万円を集め、300部限定で大判の写真集を発売予定です。

表紙を飾るMAKIさんは66歳で今年CDデビューしました! MAKIさんのCDは墨田書房さんでも売っています。

ターナーズ「築地フィッシュマーケットブルーズ」LIVEバージョン


仕事中のMAKIさんのPV。


しぶいわあ、かっこいいわあ

市場で働きながら音楽を続けていたMAKIさんを初めとして、この本に載っているおじさんたちは、みなさんいろんな仕事や過去を背負って築地で働いているのだろうと思います。まずその方たちの写真を撮ることからして1~2年築地に通い詰めただけでは普通は難しいはずです。でもそれを可能にしたのは、おそらく、場内の豊洲新市場移転問題と無縁ではなかったでしょう。オヤジたちがたどりついた築地市場が移転問題で揺れている。築地場内はなくなるそうだ。今度は豊洲に行くのか。でもそんなことは関係ない。今日の仕事を事故なく無事に終わらせるだけだ。しかしある日、築地で働いている人々の姿を写真に残したい。写真を撮らせてくれ。実はもう撮ったからプレゼントするよという青年がやってきた。迷惑だ。いや、これいい写真じゃないか。

写真家沼田学氏を前に、文字通り築地市場の皆さんは一肌脱いでくれたんじゃないでしょうか。誠実なカメラマンと愛する築地市場のために。そういう意味で『築地魚河岸ブルース』は画期的なポートレート集だと思うのです。


※墨田書房
東京都中央区築地5-2-1 築地市場内8号館
営業時間 5:30~13:00 
定休日 日、祝日(休市日に準ずる)
タグ:築地市場
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2017年10月01日

【築地場内】魚河岸水神社遥拝所と映画「日本侠客伝 関東篇」

前回の【御朱印】築地の波除神社で重陽の節句を体験する、からずいぶんと間があいてしまいましたが築地散歩の続きです。

築地には波除神社ともうひとつ、場内に魚河岸水神社遥拝所があります。実はここ、いろいろ調べるとおもしろそうな場所なんです。残念ながらわたしの体力が回復していませんので、図書館に行って調べることができませんでした。まあ、警察犬のようなわたしの嗅覚がですね、ここ掘れワンワンと教えてくれています。いつか調べてまとめることができたらいいなと思っています。今回は簡単な紹介ということでご容赦ください。

築地場内に市場橋門から入ると左側に地図があります。くわしくて分かりやすいですね。
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前回書いた波除神社から海幸橋門を通れば水神社は目と鼻の先でした。近い。

魚河岸水神社遥拝所
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扁額

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参道と鳥居

拝殿は小高い丘みたいな、階段を登った上にあります。下には魚がし横丁の飲食店街が連なっていて、ちょうど真横に牛丼の吉野家の第1号店があります。

まずは明治維新後海軍発祥の地となったゆかりを記す「旗山」の碑が迎えてくれます。参道には門がついていて堅牢な雰囲気です。水神社の由来が書いてありますので読んでみましょう。
魚河岸水神社 遥拝所 由来
「水神社(すいじんじゃ)」の歴史は古く、天正18年(1590)徳川家康公の江戸入府とともに移住してきた日本橋魚市場の開祖・森孫右衛門ら摂津国の佃村・大和田村の漁師たちが、大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して「弥都波能売命(みずはのめのみこと)」を祀った「大市場公益神(おおいちばこうえきしん)」がその始まりといわれています。

明治34年には神田明神の境内に「水神社」本殿が建立され、日本橋魚市場は関東大震災以後に築地に移転し現在地に遥拝所が建立されました。

以来、築地魚市場の守護神として「水神さま」とお呼びし、魚河岸会の人々の篤い崇敬によって大切に守られています。

この場所は、江戸時代は松平定信庭園跡で、明治維新後は海軍用地となり、境内にある「旗山」の碑は、日本海軍発祥のゆかりを記す貴重な史跡です。

尚、毎年2月には神田神社境内の水神社拝殿、御参拝が行われています。また遥拝所でも1・5・9月の年3回神事が執り行われています。

こういうのを読むとですね、森孫右衛門って誰? 大市場公益神って何? って江戸時代の人や物事が気になっちゃう。そこから、関東大震災後に日本橋から築地に移転するときは何があったんだろう? 波除神社がすぐそばにあって、魚河岸会の碑も波除神社にあるのに、わざわざ水神様をここに遷座したのはなぜだろう?日本橋から築地に移転してきて、遥拝所を作った魚河岸の人々の思いはどんなだったんだろうか。そんなことをね、考えちゃうわけです。

たぶんわたしの疑問は調べれば解けます。
思うように体が動かないのがつらいとこです。

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手水舎
きれいに手入れされた手水舎です。
市場のみなさんがこの場所を大切にお守りしていることが伝わってきます。

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狛犬。阿形。頭に丸い宝珠を載せています。

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吽形。こちらも頭に宝珠をのせていますね。ころころと太ってかわいらしい狛犬です。

狛犬、全然詳しくないんですけど宝珠って、一言でいうとすごく縁起がいい玉なのです。それをこの狛犬は両方とも頭に載せています。狛犬って頭に何も載せていないのもいますし、一般には阿形はなにも載せてなくて、吽形が角を載せてるのが多いとされています。しかし江戸時代の『諸職図鑑』という文献が間違えたせいで、阿形に角、吽形に宝珠を載せた狛犬が多数作られたという説もあり、悩ましいところなのです。しかし、宝珠を2体揃って頭に載せている狛犬が珍しいことに違いはありません。

そして狛犬の台座の裏を見たら「魚がし會 昭和十 年 四月吉日」と書いてありました。ますますこの狛犬が作られた年代が気になります。想像に過ぎませんが、この狛犬がもし後世に作り替えられたものだとしても、日本橋の魚河岸水神社にあった狛犬の姿を再現していると考えたほうが自然な感じがします。

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魚河岸水神社拝殿
こじんまりとしていますが掃除の行き届いたきれいなお社です。しっかりした天井があるんですよね。
手水を使って二礼二拍手一礼でちゃんとお参りしました。波除神社に御朱印をいただきに参られた方はぜひこちらの水神社にもお参りしてほしいと思います。

波除神社の主祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)つまりはお稲荷様でした。穀物と農業の神であり、五穀豊穣、商売繁盛を祀る田の神です。しかも波除様は海で発見されました。魚河岸水神社の祭神は弥都波能売神(みづはのめのかみ)、水の神です。稲を育てるのは水です。築地市場は場外に田の神がいて、豊作と商売繁盛を、場内には大漁を祈願し、船の安全を守る水の神がいらっしゃる。築地市場全体が食と水、陸と海、両方の神様が揃ったとんでもないパワースポットだったのです。

豊洲新市場に築地場内が移転したら、この水神様も遷座し、氏神様も波除神社から富岡八幡宮に移るのだそうです。

んんん、もったいない…。


入院中にAmazonビデオで「日本侠客伝 関東篇」という映画を見まして、これが日本橋から築地に魚市場が移った翌年の話なんです。
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本作での高倉健さんは船の機関士であってヤクザではありません。しかも酒好きで船に乗り遅れる常習犯。船に置いて行かれて困っていたところ、飲み屋で出会った長門裕之の紹介で、築地市場の問屋「江戸一」で働くことになります。江戸一は南田洋子が先代の父から譲り受け、妹の藤純子と2人で切り盛りしていましたが経営は火の車です。東京魚市場協同組合理事長と石津組のヤクザが、組合に入れ、入らなければ店を潰すといやがらせに訪れる毎日。そこにかつて南田洋子と恋仲だった佃勝組のヤクザ鶴田浩二が帰ってきます。
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マキノ雅弘監督、高倉健と鶴田浩二の共演、北島三郎の歌、丹波哲郎や大木実、待田京介など豪華な共演陣とみどころの多い映画です。とくに、焼津の網元・丹波哲郎から仕入れた魚の河岸上げを前に、組合理事長の郷田が、東京市の水産局長への電話一本で、突如河岸を閉鎖してしまうシーンから一気にクライマックスへと盛り上がります。最初は組合理事長や石津組に従順だった魚河岸の労働者である小揚組合員たちが、目の前まで来ている焼津の魚を腐らすわけにはいかないと一斉に蜂起するのです。実はその魚は小揚組合のお金で買ったものだったのですが、小揚は舟から魚を河岸上げし、問屋に運ぶのが仕事ですから、それを理由なく妨害されるということは許せないわけです。また、丹波哲郎に「のんき坊主」と呼ばれていたとっぽい兄ちゃんだった高倉健が、やむにやまれぬ理由から、ドス持って鶴田浩二と二人で殴り込みに入る、そのあたりはお約束の痛快任侠スタイルです。

「昭和残侠伝」のようなヤクザ対ヤクザの美学ではなくて、この映画のヤクザは魚市場共同組合理事長に遣われていて、さらに東京市の水産局長は組合理事長から賄賂を受け取っているという巨悪に対し、たったひとりの伝説のヤクザが市場の労働者と共に味方となって戦うという構図です。おまけに東京市の水産局長が汚職で逮捕されるという新聞記事つきです。

なんだか、豊洲新市場問題と重ねて考えてしまいます。東京都のお役人はあれだけでたらめなことをやって誰一人逮捕者を出していない。それどころかだれも責任を取ろうとしない。都知事までが逃げ出そうとしてるんですから。

そうそう、鶴田浩二さんが演じた江島勝治は佃勝を名乗っています。おそらく明治・大正時代の侠客佃政こと金子政吉親分をモデルにしていると思われます。佃政親分が日本橋から築地へ魚河岸が移転したときのキーマンだったのはまちがいないでしょう。水神社とも何か関係があるかもしれません。

そんなことを考えながら水神社を後にしたわたしでしたが、この後ふるえるような素敵な出会いが待っていました。水神様のご利益マジ半端ないです!


第5章 築地場内墨田書房へ続きます。

※「日本侠客伝 関東篇」の画像は全てAmazonビデオから
タグ:築地市場
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2017年09月17日

【御朱印】築地の波除神社で重陽の節句を体験する

新橋の烏森神社で御朱印帳を買ってから、次に御朱印をいただくならどこの神社がよいだろうかといろいろ考えました。一応ですね、御朱印入門のような本も購入しまして、神社の基本や参拝方法なども軽くおさらいしておきました。

その本の中で「荒波を乗り切るパワーを授かる」「困難にぶつかったら、マスト参拝」と書かれていた、築地の波除神社に行ってきました。なにしろ昨年からこのかた、波乱万丈、艱難辛苦、人生の荒波にもまれていますから「災難を除き、波を乗り切る」波除神社のご神徳はわたしにぴったりというわけです。

市場橋の信号から築地場外市場の賑わいを左手に、築地魚河岸の小田原橋棟・海幸橋棟を右手に見ながら、波除通りを直進した奥に波除神社があります。まず目に入るのは、鳥居の高さの倍はあろうかという大きな木です。これは波除神社のご神木である枝垂れ銀杏です。鳥居を包むように鬱蒼と茂る青葉は遠目にも迫力があります。

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わたしが行った日は9月9日、重陽の節句でした。このように鳥居に五色幕を飾るのは五節句行事のときだけだそうです。寺院などでみられる、紫、白、赤、黄、緑色の幕に加えて、波除神社では青海波を示す、青色に裾を白色でぼかした幕を左右に2枚づつ使って囲み、風にたなびく風情を表現しているそうです。その他の色の意味は寺社によって違うのでしょうが、陰陽五行にあてはめれば、水、金、火、地、木、でしょうか。華やいだ雰囲気が伝わってきます。それから、わたしはここで初めて走るターレット(ターレット式構内運搬自動車、通称ターレ)を見ました。
【波除稲荷神社の由来】
4代将軍家綱の時代、海であった築地の埋め立て工事は難航していました。激しい波が打ち寄せ、堤防を築いても何度も流されてしまいます。萬治2年(1659)のある夜、海面を光を放って漂うものがありました。人々が船を出してみると、それは稲荷大神の御神体でした。このご神体を祀る社殿を作り、お祭をしたところ、波も風も静まり、無事に埋め立て工事が完成しました。人々は稲荷大神に「波除」の尊称を奉り、雲を従える「龍」、風を従える「虎」そして一声で「龍虎」を威服させる「獅子」の巨大な頭が数体奉納されました。

稲荷大神を本社として祀っているため、ただしくは波除稲荷神社なのですね。鳥居に一礼して神社の中に入ります。右側に獅子殿があります。
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獅子殿に鎮座している「厄除け天井大獅子」は、江戸時代から厄除け・災難除けの象徴として広く信奉されていましたが、江戸末期に焼失してしまいました。現在の大獅子は平成2年に再興され、樹齢約三千年の黒檜(ねず)の原木が用いられているそうです。

願いを書いた「願い串」をこの天井大獅子の収め籠に納めて念じると、願い事を大獅子様がのみこんで、叶えていただけるとのこと。願い串は神職の方が毎月、納めた人全員の住所と名前を大獅子様に申し上げ、願いをお叶えくださるようにお祀りしているそうです。頭に大きな金色の角があります。こちらは雄獅子になります。


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左側には「お歯黒獅子」があります。こちらは福徳の神様、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が祀られています。この神様は俗に弁財天と称されるため弁財天社と呼ばれ、波除神社の摂社になります。水に縁がある神様ということで手水舎を兼ねています。中に鎮座しているお歯黒獅子の頭の上にある宝珠には、弁財天・市杵島姫命の御神像が納められているそうです。こちらの獅子神様はお歯黒をしていますから雌獅子になります。波除神社には、本社とこの弁財天社の2種類の御朱印があります。

また、弁財天社の横にある丸い塚は「玉子塚」です。東京鶏卵加工業組合が奉納したもので、このほかにも活魚塚、鮟鱇塚、海老塚、すし塚、昆布塚など多くの塚が建立され、それぞれの記念日には供養祭が行われています。

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本社の祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。穀物の神様です。お稲荷様として広く信仰されていますが、ここ波除神社では神社の由来により、波除様と尊称されています。珍しい唯一神明造のお社。大棟の上に突き出した千木の先端が、鋭角に下を向いている外削ぎです。なにしろ波の荒い海の中で発見された神様ですから、女神より男神のほうがしっくりくる感じがします。

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神様の前に立つと緊張しますね。
社殿の横の社務所に行って御朱印をいただくため、御朱印帳を預けました。引き換え番号1番。わたしの前に何人も待っていらっしゃいました。外国人観光客やお子さん連れなど、大勢の人がお参りに来ていました。

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神社で重陽の節句の体験ができるとは思っていませんでした。3月3日が桃の節句なら、9月9日は菊の節句です。上田秋成の『雨月物語』菊花の約(ちぎり)の話で、赤穴宗右衛門が霊魂となって義兄弟の丈部左門に会いに来た日としても知られます。

重陽の節句に酒の上に菊の花びらを浮かべて飲むと長寿になると言い伝えられています。波除神社では、加賀の菊酒「菊しずく」に本物の菊を散らした菊酒を振る舞っていました。この加賀の菊酒は、菊の花びらを浸した水で仕込みをするのだそうです。菊パワー倍増ですね。ありがたくいただきました。

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茱萸嚢(しゅゆのう)と菊の着せ綿も再現していました。右下の赤い袋に花を束にして入れてあるのが茱萸嚢です。これも初めて見ました。珍しい。
茱萸嚢(しゅゆのう)
平安時代の宮廷では「菊花の宴」を催す際に、中国の故事から災厄を除くものとされ、御帳台の柱にかけられました。茱萸嚢とは呉茱萸の実を緋色の袋に納めたもので、無病息災を願い重陽の節句に飾られ、端午の節句に薬玉と差し替えられる習わしでした。

菊の着せ綿
重陽の日に菊の花に植物染料で染めた黄色の真綿を被せ、明くる早朝に朝露を含んだ綿を菊より外し、その綿で体を拭えば菊の薬効により無病であるという。


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波除神社は多くの神様を祀っています。摂社の弁財天に次いで、末社に天照大神(あまてらすおおみかみ)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、天日鷲命(あめのひわしのみこと)の四神がいらっしゃいました。こちらも忘れずにお参りしました。

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お稲荷様といえばおきつね様ですね。赤い前掛けは氏子のどなたかが途絶えることなく取り換えているそうです。かわいらしい。

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これは獅子殿の横にある天水桶です。江戸時代、町中に常設されていた消防用の防火用水と桶です。これについては波除神社のサイトにもとくに説明はなかったので、かえって気になります。纏の絵が描いてありますがそんなに古いものではないような気がします。関東大震災後、波除神社と獅子神様を火災から守る意味で奉納されたものかもしれません。そういえば浅草寺の天水桶は築地の魚河岸講が奉献したものでした。なにか関係があるのでしょうか。

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波除神社の御朱印をいただきました。
重陽の節句1日限定で黄色い菊の印が押してあります。五節句全部集めるのも素敵ですね。

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こちらは弁財天の御朱印です。
お歯黒獅子の印が押してあります。

波除神社では毎月7日に七福神の御朱印を書き置きで授与しています。1年間に七福神全部を集めると、記念品がいただけるとか。

築地場外市場でお食事・お買い物の前に、まめに波除神社をお参りして、期間限定御朱印コンプリートをめざすのも楽しいですね。


波除神社に奉納された数々の塚や碑、おきつね様の前掛けに至るまで、築地市場の人々が大切にお守りしてきた、生活の一部のような、身近な神様であることがひしひしと伝わってきました。

実は築地場内にもうひとつ神社があります。こちらは魚河岸の安全を一段高いところから見守っているかのような、波除様が生活の一部だとしたら、市場人の心の拠り所のような神様がいらっしゃいました。

第4章【築地場内】魚河岸水神社遥拝所 に続きます


お祭りや節句のお祝い、期間限定のお守りや御朱印など、詳しくは波除神社のホームページをごらんください。

※波除神社公式サイト
http://www.namiyoke.or.jp/index.html
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2017年09月11日

【築地】喜多品の黒猫くーちゃんといちご大福

Twitterの猫アカウントが大好きで、いろんな猫ちゃんの成長を楽しみにみているうちに、黒猫のかわいさに目覚めました。北海道の森の中にあるカフェで、先輩猫たちとお庭を自由にお散歩したり、高い木に登ったり、好奇心旺盛なビビちゃん。広島の美術館で警備員さんと攻防戦を繰り広げては、堂々と自動ドアを突破するケンちゃん。神秘的な雰囲気を漂わせているかと思えば、人懐っこく、ベルベットのようなつやつやの毛並みが美しい黒猫たち。

欧米では黒猫は不吉なイメージがあるようですが、日本では吉兆を呼ぶ「福猫」といわれ、商売繁盛の象徴とされた縁起のいい猫です。ちなみに、黒い招き猫には魔除けや厄除けの意味があるそうです。

築地場外市場にもそんな吉兆を運ぶ黒猫がいました。

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この子です。喜多品(きたしな)さんの看板猫くーちゃん。

発泡スチロールの箱の中で爆睡していました。くーちゃんにインターネットに載ってたよ、と話しかけたら「そうにゃの?」という感じで、グリーンの瞳を見せてくれました。市場の朝は早いです。お昼ちょっと前に行ったので一番眠い時間だったかもしれません。

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喜多品さんは、銀座の和食店、高級料亭などに、生麩、このわたやからすみ、麹みそなどの珍味割烹材料を専門に卸しているお店です。くーちゃんは喜多品のお母さんの近くにいました。お母さんのそばが安心なのね。
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場外市場の路地を入って、すしざんまいの本店に向かう手前で、ショーケースに並んだいちご大福に目を奪われたら、そこが喜多品さんです。築地散歩のお土産にと、こしあんを1個買いました。大福の上にちょこんと乗った自己主張の強いいちごがとってもかわいい。ご主人にTwitterとブログに載せたいので写真を撮っていいですかと聞いてみました。

「取材もいろいろ来てるからいいよ。どうせなら作るからちょっと待ってて」

と、いちご大福をショーケースの中いっぱいに並べてくださいました。

「おいしそうに撮ってね」

あ…。わたしスマホしかもってないんですけど…がんばります!

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いちご大福すんごいきれい。餡の色に合わせて餅の色もカラフルなので目を引きます。どれでも1個300円。つぶあん、こしあん、抹茶、濃厚カスタード、完熟マンゴーの5種類。1個だけ買っても、持つところを紙で包んで、持ち帰り用におにぎり型の容器に入れてくれます。歩きながら食べてもよし、お土産によし。こちらは同じ築地場外で行列ができる和菓子店「そらつき(空月)」さんと親戚なのだそうです。でも、いちご大福をお買い求めの際はぜひ喜多品さんへ。

そう、わたし気がついてしまいました。つぶあんって英語で”Smashed sweet red beans”、こしあんは“Bean jam”なんですね。

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おいしそうかな?
ピンクのこしあん、美味しかったです!

見た目もそうですが、他では食べられない濃厚カスタードや季節の果物の餡、中身がわかるように色を変えた餅、そこにいちごを丸ごと乗っけて、ショートケーキよりクールな和スイーツ。攻めてます。

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お子さまにも大人気。このお嬢さんのご両親は中国語を話していました。このすぐあと、英語を話すお客さまがいらっしゃって、つぶあんと抹茶を買っていかれました。

喜多品のご主人はひっきりなしに来店されるお客さまが英語でも中国語でも抜群のコミュニケーション力です。いちご大福のつぶあんとこしあんの違いを英訳している店です。

築地場外市場はいろいろな国の言葉が行きかい、日本でありながら異国情緒を感じるような、路地の中にエネルギーが渦巻き、人波を漂いながら疲れるどころかテンションが上がってきてパワーをもらえる不思議な空間でした。この魅力はどこからきているのでしょうか? 場外市場にある店がさまざまな工夫や準備をして、外国人を積極的に受け入れる懐の深さがあったからこそ、世界中の旅行者が築地を目指している。築地場外市場のみなさんの不断の努力なくして今の繁盛はないと思いました。


※喜多品
営業:6:00~13:00
休業日:日祝日、市場休市日
公式サイト:http://www.chinmi-kitashina.com/
築地場外市場公式サイト:
http://www.tsukiji.or.jp/search/shoplist/cat-c/cat-7/208.html
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2017年09月09日

【築地どんぶり市場】火事からの復活!マグロのほほ肉ステーキ丼

今日、ひとりで築地に遊びに行ってまいりました。
あんまり楽しかったので5回連載で書いていきます。

うちの母のデイサービスが毎週水曜と土曜日でして、わたしが外に出られるとしたらこの日なんです。ちょうどいろいろ興味が重なりまして、次に遊びに行くとしたら築地しかないと思っていました。でも、市場といえば朝が早い。9時に母を送り出して、それから築地に向かったら遅くなるのではないか。まあ、間に合わなくてもいいからとにかく行ってみようということで、築地市場に初めて足を踏み入れました。

都営大江戸線の築地市場駅A1出口を出て、新大橋通りを左手に築地方向へ歩いていくと市場橋の信号の先に飲食店街が立ち並ぶもんぜき通りがあります。

ここは8月3日の夕方に出火し、7棟935㎡が焼け、火が完全に消しとめられるまで15時間延焼する大火事がありました。この影響で約90軒が停電し、白煙がたちこめて市場の前の都道約150mが通行止めになるほどでした。

それから、このニュースをネットで読みました。

3日夕に東京・築地場外市場で店舗7棟が全焼するなどした火災で、被災した17店舗の関係者が6日、初めて火災現場に足を踏み入れた。当初、火元とみられるラーメン店は謝罪をした上で「被災者会議」への加入を辞退したが、他の16店舗が「同じ長屋で商売するのだから17店舗でなければ意味がない」として引き留めたという。この日は処理作業に向けての被害状況の把握と、今後の営業などに必要な帳簿など資料の回収が行われた。作業初日、本紙記者が同行した。

 火災現場となったアーケード商店街「もんぜき通り」各店の天井はすすで充満していた。「うわー、釣り銭の袋があったぞ」「ぬれてるけど帳簿は燃えてない」「スイカとモモは無傷だ」。火災後、初めて足を踏み入れた17店舗の関係者は、再び戻ってきたそれぞれの持ち物をさすりながら、抱きしめながら喜びの声を上げた。

 東京消防庁の現場検証が終わり、警視庁の規制線がようやく解除されたのは前日5日夜。同日に被害を受けた店舗の関係者らが集まって会議を開き、6日午前8時から一斉に火災現場に入ることを取り決めた。

 店舗前にブルーシートを掛け、店の備品はそのままにして、今後の商売に関連する帳簿などを確認して持ち出した。ブルーシートを掛けたのは、がれき処理を進める際の粉じんが飛ばないようにすることと、火災被害を受けていない他店舗が通常営業ができるための配慮からだ。

もんぜき通りから西通りに抜ける通路は、トタン屋根が外れて床に折り重なって散乱していた。もんぜき通りの2階から伝ってきたと思われる火の手は1階部分をのみ込んだようで、ほとんどが黒く、すすけていた。

 17店舗には、火元とみられるラーメン「井上」も入っている。関係者によると当初、井上側は「本当に申し訳ない。この集まりには入れません」と深く頭を下げた。しかし、他の16店舗代表者が「確かに火元かもしれないが、わざと火をつけたわけじゃない。これは事故で、井上も被災者なんだ。同じ長屋で商売してる。再生するなら17店舗は一緒だ」と説き伏せたという。

 がれき処理では、店内に入る際には周囲で声掛けをして、危険なようであればすぐに撤退した。今後、火災現場をどう再建していくか、具体的には何も決まっていない。魚市場や仲卸など市場機能は豊洲移転が決まっているが、個人所有の土地の場外は路地文化を継承しながら築地で商売を続ける。被災した長屋17店舗が、再生に向けて団結を深めた処理作業の初日だった。【寺沢卓】
 
(「日刊スポーツ」2017年8月7日)


このもんぜき通りで被災した店舗のうち、築地どんぶり市場が9月1日に再開したというニュースを知って早速行ってきました。

ありました。築地どんぶり市場さん。

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椅子が5席、ブルーシートを壁にして隣に立ち食い用のテーブルが置いてあります。最初に行った10時半頃は、外国人観光客で外のテーブルもいっぱいでした。店のお姉さんに食べられるか聞いたところ、ちょうどご飯が一気に出てしまって炊き上がるまで10分くらい待つといわれました。ほかに行きたいところもあったため12時頃に再訪問。椅子席がもうすぐ空きそうだったので、その間に注文しておきます。念願のステーキ丼プラス100円であさりの味噌汁かカンパチのあら汁が選べます。わたしはカンパチのあら汁にしました。

マグロのほほ肉ステーキ丼とカンパチのあら汁 1,500円
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マグロのほほ肉はしっかり厚みがあって食べ応えがあるのにとろけます。あっさりしすぎないマグロの濃厚なうまみと霜降り肉のような脂身に黒胡椒が効いていてなるほどステーキ。敷いてあるレタスも、乗っかっている白髪ねぎも、いい存在感を示しています。これは美味しい! カンパチのあら汁は灰汁がなくってやさしい味です。カンパチの大きな切り身が入っていてうれしい。

ごちそうさまでした!

でも、悲しいですねえ。1,400円のステーキ丼を490円の富士そばのかつ丼と同じ速さでかっ込んで食べてしまうんです。これは貧乏人の性ですねえ。もうちょっと優雅に味わって食べられないもんですかねえ。そんなに急がなくてもいいのにねえ。

人気店だけあって、お店の中には有名人のサインがいっぱい飾ってありました。これも大切な財産。

どんぶり市場から築地方面へ。
火元に近いところにはまだブルーシートがあります。
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日刊スポーツの記事にもありましたけれども、このブルーシートはがれき処理をするときに粉塵が飛ばないためと、営業している店舗への配慮でしたね。
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火元の裏側。場外市場に入ったところにあるブルーシートには、いろんなお店の方の連絡先電話番号を書いた紙が貼ってありました。

もんぜき通りはものすごく観光客で賑わっていました。国内、国外からのツアー客があふれ、お店の前の立ち食い用テーブルでもつ煮にビールの外国人。ラーメン屋にはお客さんの長い列ができていました。

一日も早い全店舗揃っての復活が待たれます。


※もんぜき通り公式サイトはこちらです
店舗紹介、築地場外市場マップがあります


第2章 【築地】喜多品の黒猫くーちゃんといちご大福につづく
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2017年09月05日

【親の介護4】脳梗塞の後の認知症に悩んで介護鬱になる

4月17日(月)の夜に脳梗塞で救急搬送され、1週間の予定で検査入院となったうちの母でしたが、実際に病院にいたのは4日間だけでした。

母は入院翌日からせん妄を起こし、看護師にわたしに電話をしてほしいと何度も頼んだり、家に帰りたいと泣き出したり、病室に知らない男の人がいるなどと言い出し、明らかに混乱をきたしていました。担当の看護師からは、うるさいほどナースコールを押すわ、夜中も寝ないで騒いでいた。今度そういうことがあったら家族の方に連絡するかもしれませんと言われました。

病室に行ってベッドの上の母をみれば、検査用の浴衣を裸の上にはおっただけのだらしない恰好をさせられていたので、せめて家から持参したパジャマに着替えさせてやって欲しいと看護師に頼んでも一向に着せてくれなかったり、検査と点滴や食事の時間以外は問題のある患者としてすっかり放置されているような状態が続いていました。

一番怖いのは脳梗塞の再発だけれども、病院での環境が悪すぎます。窓側のベッドなのに日も当たらない。一日中夕方のように暗い部屋。ベッドサイドにポータブルトイレが置かれているけれども、点滴の輸液ポンプがベッドの反対側に繋がれているのでいちいち看護師を呼ばないといけない。看護師を呼ぶと血栓予防のため遠くのトイレまで延々歩かされる。ベッドの周りが狭くて面会に行っても補助椅子もなく座ることすらできない。そしてなにより、重い認知症の患者さんと2人きりの相部屋では、もとから、まだらボケの母は環境の変化に対応できないまま本格的な認知症になりそうだと思いました。

これは一刻も早く家に連れて帰ったほうがいいんじゃないか…。
母はわたしの顔を見ると「家に帰りたい」と泣くのです。

4月19日(水)はわたしの診察日でした。いつもなら血液検査を終えて、診察、検査結果がOKなら翌週からの入院手続きという流れになります。わたしは母が脳梗塞で入院していることを主治医に伝えました。医師からは現在のわたしの病状では1ヶ月以上化学療法を空けることはできない。待っても3週間まで、と期限を切られました。月曜に入院したばかりですし、検査中でもあるので、とりあえず金曜日にまた話をしに来なさいと、診察の予約を入れてくださいました。

その日の午後3時、母の面会に行ったときに幸運にも主治医の先生とお話しする機会がありました。ちょうど午前中で一通りの検査は終わったということで、画像を見せていただきながら病状の説明を受けました。当初は金曜か土曜の退院予定でしたが、医師から

「明日退院しますか。長く入院してるとボケちゃうから」

と、急に言われて拍子抜けしました。

急いでケアマネに連絡して退院を手伝ってくれるヘルパーさんを探しました。わたしは長い間の化学療法ですっかり筋力が衰えてしまって、母の荷物を持ったり車椅子を押すことは無理なのです。たまたまいつもうちに来てくれているヘルパーさんが空いていたので、病院に来ていただくことが決まり、翌日20日(木)には、とっとと退院しました。母は家に帰ってきてからも

「キツネにつままれたみたいだ」

と何度も言いました。そりゃそうでしょう。
わたしですら目が回るほど超絶怒涛の4日間でしたから。


21日(金)午前中の婦人科診察で、主治医に、昨日母が退院したこと、予定通り来週月曜からの入院化学療法を受けるつもりだと伝えました。わたしの主治医としては安心したのではないでしょうか。

お昼には、母をずっと診てくださっている訪問医療の整形外科の先生が往診に来てくださいました。母は家に帰ってきてからも夜間せん妄はみられましたが、日中はすっかり落ち着きを取り戻しているように見えました。往診の先生とも以前と変わらない様子で話ができています。先生は

「まあ、入院すると環境が変わるから、多少の混乱は誰でもありますよ」

「本当に水頭症なのかなあ? 脳に水って昔っから言われてなかった?」

と母に聞きました。すると

「そうなんですよー」

と、答えます。

同じ日の午後、今度は頑張って母の車椅子を押して、画像データと紹介状を持って午前中に来たのと同じ病院の脳神経外科を受診しました。

脳神経外科には母が数年前から撮りためていた脳のCT画像が何枚も残っていました。それと今回撮影した画像を比較して、

「確かに小さな脳梗塞はあるけど、水頭症の所見はないよ」

と言われました。つまり、脳の中に水が溜まっているような影が以前の写真にもみられるけれど、大きくなっているわけではないから大丈夫でしょうというのです。わたしは母のせん妄は水頭症からきているのかもしれない。もしそうなったら手術を覚悟しなければと思っていましたので、これには本当に安心しました。

脳神経外科の先生は「こういうのは本当は脳神経内科が診るんだけどね」とおっしゃりながら、母にさりげなく質問を重ねていきます。年齢は? どこで生まれたのか。そこは何が名物なのか。若いころは何をしていたのか。趣味は何か。得意なことは何か。

そうです、認知症のテストです。次に手を組んで同じように組めるかやらせてみます。見たものを自分で再現できるか。うちの母はできませんでした。でもその結果

「このくらいのお歳になるといろいろ衰えてくるのは当たり前なの。一番いいのはね、よくしゃべること。いっぱいおしゃべりするようにしましょう」

と言われました。そして、母は心臓に持病があり、循環器内科にかかりつけの医師がいらっしゃるので、その先生に血液をサラサラにする薬(バイアスピリン)を変更してはどうかという内容のメモを電子カルテに書き加えてくれました。母は初めて会った脳神経外科の先生が、優しくいろいろな話を聞いてくださるのですっかりファンになったようでした。


しかし、事件は23日(日)の夜起こりました。

夕食を終えて、わたしは明日からの入院用の鞄に着替えを詰め込んでいました。どうも母が部屋と台所の間をバタバタ移動しています。なんとなく嫌な予感がしたので母の部屋に様子を見に行くと、母がお薬カレンダーに入れてある薬を3日分いっぺんに飲んでしまっていました。

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薬の管理は介護ヘルパーが週に一回お薬カレンダーにセットしてくれて、服用は母に任せきりにしていました。今思えば、母が脳梗塞を発症したのもわたしが薬の飲み忘れをちゃんとチェックしていなかったからでした。

母にしてみれば、薬を飲み忘れてはいけないという強い思いがあるのでしょう。しかしそれに反して、海馬の委縮により新しい記憶がこぼれ落ちてしまっているのと、脳梗塞からの入院で見当識障害がひどくなっていて、日時や曜日の感覚が壊れてしまいました。そのため薬を飲んだことを何度も忘れ、目の前にある薬を次々と飲んでしまうようになりました。

このとき服用した薬は整腸剤と降圧剤、不整脈の薬でしたので、倒れたりしたらどうしようと心配しました。でも意外としっかりしていたので一晩母の具合を見て、翌日の入院をどうするか決めようと思っていました。

わたし自身の病状があまり良くないことは分かっていました。再び母のために化学療法を中止することは大変な恐怖でした。母には多少不自由をかけても、今度は自分の治療をちゃんとしたい。そういう気持ちがこのときは強かったのです。

結局、わたしは母を家に残して、24日(月)から予定通り入院しました。
ケアマネと打ち合わせをして、薬の管理と介護ヘルパーの訪問回数を増やしてもらいました。

しかし退院した26日(水)にも母は夜の薬を3日分飲んでしまいました。

このころから、わたしは副作用による体調不良と闘いながら、度重なる母の奇行に振り回されるようになりました。

とにかく夜間せん妄がひどくて夜中に何度も起こされます。がさごそと探し物を始めては、何を探しているかを忘れている。急にご飯を食べなきゃと台所に行っては冷蔵庫を開ける。朝起きて母の部屋に行くと、タンスの中の服が全部床に散らばっている。夜中に知らない紳士がやって来たと言いだす、などなど。

睡眠薬を飲んでいても眠れません。

加速をつけて精神のバランスを崩していく自分がどうしようもなく無力な存在に感じるようになりました。いくら母のために走り回っても、介護をしても、賽の河原じゃないか。いつまで、どこまでやっても報われることはない。こんなわたしを一体誰が助けてくれるというのだろう。誰もいない。

介護疲れの毎日。ほんの30分、愛犬を抱っこしてベランダのメダカをボーっとながめる。全身が鉛のように重くなって動けない。いっそのこと母を殺してしまえば、病気で弱っていくわたしを見ることもなく、娘ががんであることも忘れたまま先に逝ってくれて幸せなんじゃないか…。

5月2日(火)わたしは精神科を受診しました。
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2017年09月03日

【親の介護3】うちの母が脳梗塞で入院したときのこと

それは本当に突然でした。

母はわたしの手術が成功したことで、すっかり落ち着きを取り戻していました。圧迫骨折から退院したときには認知症の症状がみられたものの、このころはそんなことが嘘だったように会話がはずみましたし、家事もすすんでやってくれていました。4月3日(月)にはデイサービスのお花見に行くことをとても楽しみにしていたので、わたしも母の都合にあわせて化学療法のスケジュールを1週間延期しました。後になってみれば、これがすべての幸いにつながったのでした。

お花見から帰ってきた母はよくしゃべってくれました。わたしの嫌いな桜の花も、はるかに多くの人の心を癒し、華やいだ気分にしてくれるものです。はしゃいだような母の話を聞きながら「入院延期してよかったなあ」などとのんびりしたことを考えていました。母はお花見が気分転換になったらしく、一層元気に過ごしていたし、本人も歯の治療や髪を切りたいと望んでいたので、訪問歯科医や訪問美容師の予約を入れておきました。わたしは、4月10日(月)~12日(水)に入院化学療法を行いました。

いつものことですが、退院して数日は副作用で動けません。
この間、母への目が行き届かないのは今も変わりません。
介護ヘルパーから「薬の飲み忘れが多いので注意してください」といわれても、それほど重大なこととは思っていませんでした。

4月14日(金)、母は訪問歯科医の先生に歯の治療をしていただきました。このときも受け答えはスムーズでした。来週は美容師さんがいらっしゃるから、デイサービスに行ってお風呂に入ってきましょうね、などと話をしていました。

4月17日(月)、夕飯を終えて母が洗い物をしてくれています。昨年の夏から思えば夢のような回復です。燃えないゴミをまとめて、さあ寝ましょうと母が自分の寝室に戻る前にわたしの部屋を訪れたときに異変は生じました。

襖が自分で開けられないのです。
母が襖の向こうで言葉にならない声を発しています。
わたしはすぐに襖を開けました。
母が部屋に入ろうと立っていましたが、顔の中心が青く変色したようにゆがんでいます。
「大丈夫?!」と声をかけると、ろれつのまわらない口で「らいりょうふ」と言います。
母を支えながらベッドに連れていき、座らせるとみるみる力が抜けていきます。足をピンとのばしたまま全身が硬直したように見えます。明らかに梗塞を起こしていると判断し119番で救急車を呼びました。

ふしぎなことに救急車が到着するまでの間に母の様子が落ち着いてきました。普通にしゃべれるようになり、体も動かせる。わたしと会話ができる。救急車が来るからねというと、眠いので寝たい、と答えます。救急隊が部屋に入ってきて母の様子を伝えると、両手を上げさせたり、言葉を繰り返し言わせたりと簡単なテストをしています。母は全部クリアできました。このときに一過性脳虚血発作であろうと判断され、脳外科の設備がある病院に搬送することになりました。

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病院に着いて、血栓を溶かす点滴とCT検査の結果、右後頭部に小さな梗塞が認められるのと水頭症の疑いという診断が出ました。わたしが治療中であることをお話したところ、1週間の検査入院を勧められました。脳梗塞ですから本当は1週間で治療が済むわけはありません。しかし、翌週にわたしの入院治療が控えていたため、検査データを地元の病院に全部持って行って、かかりつけ医に治療を委ねようという提案でした。また母をわたしの都合で無理やり退院させなければならない。申し訳ない。このときはそう思いました。

慌てていたので母の持病の薬を持って出なかったため、翌朝一番で病院に薬を届けなければなりませんでした。その日は母を残して夜遅く、雨の中、わたしは家に帰りました。もう目の前が真っ暗でまんじりともできませんでした。

夜明けを待って病院にとんぼ返りすると、看護師さんから母が夜中に暴れたと聞かされました。うちでは暴れたり暴言を吐くことは一切ありませんでしたので、どうしようもなく胸騒ぎがしました。それは、母が入院した病室は狭くて暗い2人部屋で、認知症の方と一緒だったのです。わたしの顔を見るなり母は泣き出しました。

「こんなところに入院させちゃってごめんね。でも1週間は検査に必要なの。脳梗塞だったの」

母にそう説得しながら、めまいでクラクラする体で立っているのがやっとでした。

結果的に発見と処置が早かったので、母の脳梗塞は軽度で済みました。月曜日は隔週でわたしの入院化学療法がありますが、たまたま自宅にいる日の発症だったのが幸いしました。デイサービスのお花見があったから重度の後遺症が残らずに済んだのかと思うと本当に紙一重でした。母ひとりのときに脳梗塞を起こして、自分でベッドまで行って一晩眠ってしまっていたら、今頃寝たきりになっていたかもしれません。しかしこの入院から、母の認知症の症状が顕著になってきました。

それでも、わたしは運が良かったと思っています。
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2017年09月02日

【BROOK KITCHEN 神田】女性一人でも気軽に熟成肉が食べられる店

しばらくお肉を食べてなかったんですよ。

まず、自分で料理ができなくなりましたから、肉を買ってきて家で焼くということもなくなりまして、かといって外食の機会もないわけです。にもかかわらず、テレビで焼肉のタレやステーキチェーン店のCMを見たりすると、うちの親が

「あんな分厚いお肉食べてみたい」

などと申します。しかし、こっちは誤嚥されるのが怖いですし、なかなか食べさせてやれません。母には宅配のお弁当とデイサービス、ヘルパーさんが買ってきてくれる中食で栄養を摂るようにしまして、わたしはもっぱら家で冷凍うどんやカップラーメン、冷凍チャーハンなどの炭水化物ばかり食べていたんです。実に貧しい食生活です。

たとえばひとりで病気の治療を続けていらっしゃる方は、食事の面はどうしてらっしゃるんでしょうか。大変ですよね。なんとか療法といって野菜ジュース飲むとかいろいろあるらしいですけど、よくわかりませんし、続けられませんしね。とりあえず空腹を満たすだけでやっとですよ。

そこで、母には申し訳ないのですが抜け駆けをしようと思います。

料理するのも重労働だし、食欲も常にあるわけではないので、体調の良いときには外で、親に内緒で、美味しいものを食べよう! そう決めました。

そこで熟成肉レストラン・ブルックキッチンです。

いきなり熟成肉かよ! って感じですけれど、本当にお肉に飢えてましてね。にくにくしい肉が食べたかったんですよう。熟成肉って何年か前にブームになりましたし、ちょっと興味があったんです。サイトデザインもおしゃれですね。

温度2~3度、湿度70~80%を徹底管理し、白カビの一種であり、肉の香りに深みを出す「枝毛カビ」をコントロール

常に風を当て続けることにより肉の水分を飛ばし、たんぱく質とミネラルが凝縮され旨味成分たっぷりのおいしい熟成肉となる

40日間熟生させた他店にはない、ナッツを思わせる香り

表面はカリカリ、中はモイスチャーなニューヨーク・クリスプ(NYC)で焼き上げたステーキは、他のどこにも無いBROOK KITCHENだけのオリジナル


いわゆるドライエイジング(乾燥熟成)ですかね。
枝毛カビ? 40日間も熟成? ニューヨーククリスプ? 
これは行ってみないとわからないなあ。

JR神田駅西口から徒歩1分。
歩くだけで疲れちゃうから駅から近いの大事です。
大きなガラス戸が解放的で入りやすい店構えです。
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いざ!

牛ハラミのがっつりスタミナプレート/スープ付  926円
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ワンプレートなので「ん? これだけ? 少ない?」と思ってしまいますが、全然そんなことはありません。お肉は超レアです。小さく切らないと噛み切れません。その代わり、噛めば噛むほど口の中に肉のうまみが染み渡っていきます。なるほど熟成肉ってこういうことかとひとり納得です。普通のステーキのレアと全然違います。熟成肉は油脂がはるかに少なく、赤身肉をさらにまろやかにした感じ。ライスは玄米、サラダ、目玉焼き、スープと、ちょうど1,000円でがっつり肉を食べたと満足できる一皿です。

ランチタイムはコーヒー飲み放題です。
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わたしは一人で行ったのですが、わたしの隣の席も女性一人でランチにいらっしゃってましたし、女性と若いお客さまが多い印象です。店内はNYブルックリンで買い付けたというアンティークの家具が置かれ、壁には熊や鹿のはく製が…。


後日、血液検査をしたら貧血が治ってました。熟成肉のおかげでしょうか。
posted by 部長 at 22:06| Comment(0) | 美食めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

【烏森神社】がん封じのお参りのつもりが御朱印集めにはまる

きっとお友達と門前仲町に遊びに行けたのがわたしにとっていい薬になったんですね。だんだん電車に乗って遠くへ行けるようになりました。でもすぐに疲れちゃいますから、健康なときのようにはいきませんが、昨年の春ころは主治医から電車に乗ることも止められていましたので、動けるってありがたいなあとしみじみ思います。

そこでですね、一念発起してがん封じのお守りをもらいに烏森神社に行ってきました。
文字通り神頼みですよ。ええ。

病気平癒のご祈祷やお守りはどこの神社にもあると思うのですが、東京でがん封じのお守りがある神社は烏森神社だけなんです。お寺では小岩の唐泉寺さん、目黒の蛸薬師成就院さん、巣鴨のとげぬき地蔵尊・高岩寺さんが有名です。

うちは仏教なので、仏壇に向かって手を合わせるのが一番正しいとはわかっていながら、神様、仏様、お医者様、助けてくれそうなところはすべてお参りしておこうという、そんな動機からでした。

しかし神様はやはりそういう下々の愚かさはお見通しなんですね。
病気平癒のためには、まず自分の心を鎮めなさい、と神様から教えられた気がしました。


その、烏森神社さん。
新橋駅から徒歩2分なのにいきなり道に迷いました。新橋駅前のカラオケの鉄人の横の路地を入ったところにありました。

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鳥居が超近代的。手水の場所がわからなくてそのままお参りしてました。あまり神社に慣れていないのでちゃんと参拝できるように今度からは作法をおさらいしてから参拝しますね。


狛犬。阿。

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吽。

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お参りを済まして、隣にある社務所に行ったら若い女性の行列ができてまして、みなさん手にかわいらしい表紙の御朱印長を持ってらっしゃる。そもそもわたしは(御朱印ってなあに?)っていう人ですので、がん封じのお守りを買ったときに
「書置きって何ですか?」
「御朱印帳に書いていただくのはどうしたらいいんですか?」
と、質問ばかりしていたら列に並んでいた方をお待たせしてしまいまして、どうやら烏森神社の御朱印帳を買えば、御朱印が書かれているものを渡してくれるらしいとわかりました。さて、どうしたものか。御朱印帳を買ってもわたしそんなに動けません。かといって書置きをいただいて帰ってもあまり大事にしないような気がするし、それはそれでバチ当たりだし、でもせっかく来たんだから御朱印はやっぱり欲しいな、う~ん、う~ん、と悩みながら、社務所の前の椅子でしばし休んでいたところ、なんと神の使いが!

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突然、烏森神社にカラスが飛んできて、御朱印帳を買おうかどうしようか迷っているわたしを覗き込んでいるではないですかっ! 
つか、烏森神社って本物のカラスがいるんだっ!

思い切って買わせていただきました。御朱印帳。

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う~ん、烏の刺繍がかわいいじゃないか。
中の御朱印の美しいこと!

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これはもう御朱印集めを始めるしかない!
病気になってから新しい趣味ができるとは思いませんでした。

病気と介護で家にこもりきりの人がまず外に出ますから、体力づくりにも役立つし、何より神社巡りで、神社の境内を散策しながら、お参りできたことに感謝しつつ、心の安定をはかるというのはすごくいいことなんじゃないか。都会の中で、そこだけ異空間が現れ、神聖な空気に触れたり、自然にふれあえるのは、やはり神社だ。なるほどパワースポットだ。

そうだ御朱印を集めよう!
(単純)

病気になって心も体も弱くなって、なにかにすがりたい、助けてほしい、たしかにそんな心持ちになります。でも新興宗教にはまったり、お金儲けのスピリチュアルカウンセラーや、トンデモ民間療法にはまったり、気持ちはすごくわかるけど、わたしは断る。

神社や御朱印がどんなものか、わたしにはまだよくわかりません。
でもね、なんとなくワクワクしています。


posted by 部長 at 00:19| Comment(0) | 御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

【新井浩文】あえて牛乳石鹸Web動画の汚名をすすぐ「さ、洗い流そ。」

わたしは一人っ子の長女なんですけど、両親に誕生日をケーキでお祝いしてもらった記憶がありません。わたしの誕生日ってだいたい父親が酔っ払って暴れてたんですよね。そのくせ父は自分の誕生日にはケーキ買って来いっていう人でしたから、もうむちゃくちゃです。今でいうなら崩壊家庭そのものなのでしょうけど、昔はそういうわけわかんない家庭ってあちこちにあったと思うんです。子どもたちは「うちも大変だけどおまえんちも大変だよな」なんて、大人の斜め上をいってたりして。

そういうむちゃくちゃな親のおかげというわけではないのですが、わたしの感受性や大人への洞察力のような感覚が研ぎ澄まされたといいますか、いい意味でも悪い意味でもね。育まれました。


牛乳石鹸のWeb動画が炎上してしまって、もともと俳優・新井浩文さんのファンであるわたしは非常に残念な気持ちでいます。最初にこのCMを見たときにも素直に、いいCMだな。ちゃんと作ってあるな。と思ったので、なんかもうネットって怖いわねー的な、誠実に作ったものが伝わらないもどかしさを強く感じています。

そこでわたしなりの動画の解釈を書いてみます。
まだご覧になっていない方は、ここで改めて見てみましょう。



冒頭のごみを捨てるシーンから何だか「嫌々やらされてる感が不快だわー」と、引っかかっちゃう方も多いようなんですけれども、ラストでも再びゴミを捨てているので、ゴミ捨てはいつもやっていることと、とりあえずは素直に受け取って欲しいです。大きなゴミ袋を両手に持つ夫に

「帰りにケーキお願い」

と、妻が言います。このときの妻の服装は朝からビシッとベージュのスーツです。つまり夫婦共働きです。夫が比較的すいている早朝のバスに乗って最寄り駅まで通勤していることから、郊外の住宅地にマンションを購入していると考えられます。妻は仕事が終わったら早く帰って、誕生日の料理を作らなければなりません、そこでケーキの引き取りを夫に頼んだのでしょう。

次に夫の職場にシーンが移り、部下が報告ミスを上司に叱責されているところに、妻からLINEで

「プレゼントもお願い」

と、グローブの絵が送られてきます。これも、おそらく妻も職場にいて、仕事の合間にプレゼントを忘れていたことを思い出してLINEしたのでしょう。ローンの返済や家族のために働かなくてはならない妻の必死さを夫も理解しているから、言われた通り急いでグローブを買いに行きます。そこでふと自分の父親のことを思い出します。

「あの頃の親父とは、かけ離れた自分がいる。家族思いの優しいパパ。時代なのかもしれない。でも、それって正しいのか」


父親はスーツ姿の自分とは違い、汗臭い作業着を着て仕事に追われていた。一緒にキャッチボールをした記憶もない。いつも練習場でひとりボールを投げていた。

グローブとケーキを手に、彼は父性とは何かを考えたのです。
今までの自分ならこのまま真っすぐ家に帰っていたけれど、男としてそれは最善なのか?

次のシーンで彼は居酒屋に部下を誘って話を聞いてやります。なぜなら今日このタイミングで部下に声をかけることが最善だからです。彼にとってはちょっとした反乱でした。家庭よりも仕事を取る。妻からの電話にも出ない。若い父親ゆえのもやもやとした自信のなさや、よき父としてあるべき姿と現実とのギャップに対して、自分の意思を通す行動という形であがいてみたのでしょう。

しかしそれはみごとに逆効果でした。夫にもそのことはすぐにわかりました。失敗した。

妻「なんで飲んで帰ってくるかな」
夫「風呂入ってくる」
妻「ちょっと待ってまだ話し終わってない」

夫は酒の匂いを抜こうと、すぐ風呂に入ります。
風呂場には牛乳石鹸。そういえば仕事から帰ってきた父の背中を流すのはいつも自分だったっけ。父の思い出と今の自分を結びつけてくれるのは、昔と変わらぬ牛乳石鹸でなければいけません。

「親父が与えてくれたものを、俺は与えられているのかな。ふとそんなことを思ったり」


妻にとって良き夫が、子どもにとってよき父とは限らない。仕事一筋で家庭を顧みない父親像は昭和だから許されたかもしれない。けれど、今とは時代が違う。最初から立派な父親になんかなれないし、父親だって子育てに悩みながら何かを子どもに与えてやりたいと日々もがいている。彼が牛乳石鹸で洗い流したのは、自分の中の父とはどうあるべきかというモヤモヤと、ふと魔が差したマイホームパパである自分の未熟さです。

夫「さっきはごめんね」
妻、子どもを呼ぶ。お誕生日おめでとう!

新井さんの翌朝の通勤バスの中での表情が前日よりさっぱりしてみえます。
やっぱり俺は今までどおり家族思いのよきパパでいいんだよね。何に悩んじゃったんだろうね。昨日は。
息子の誕生日にひとつ成長したお父さんの物語。

と、わたしには見えました。
ていうか、シンプルにこの動画を見た方、大勢いらっしゃると思う。

3分弱の動画の中で繊細な心の動きが表現されているので、かえって難しく考えてしまう人が多かったのかなというのと、YouTubeという媒体をこの作品が超えてしまったから、炎上なんてことになったのかなと大変残念に思っています。

スマホやPCの小さい画面のながら見で、ゴミ袋とか、居酒屋とか、ケーキとか、新井さんの表情とか、大きなカットにばかり目がいってしまい、細部を深く考える前にとりあえず突っ込みを入れたくなってしまったのかなという印象です。むしろ、ヒステリックにこの動画を批判しているブログを読むと、考えすぎだから「さ、洗い流そ。」と、牛乳石鹸を差し出したくなります。


主演の新井浩文さんがツイッターでこうつぶやいています(とばっちりだよね。かわいそう)。

もちろん! パイセンについていきます!
posted by 部長 at 20:56| Comment(0) | 話題の人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする